落現の逆世界
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「zzz……」
心地良い寝息が、すぅっと部屋に溶け消えていく。
「にゃにゃあ……」
部屋の中央には、でかでかとしたダブルサイズ程のベッドが置かれ、それは贅沢にもたった一人の人物によって占有されていた。
半ば適当に頭に乗っかっているようなナイトキャップの下には、燃えるような繊細な赤髪が覗く。
どことなく猫っぽい口元をもごもごさせるその顔つきは、人間で言うところの十代半ばの少女のよう。
寝巻をはだけさせ、大胆にも腹周りが露わになってもお構いなしな寝相で熟睡しているのは、この大きなベッドの領主こと、昇千妃八恵だ。
ここは八恵邸。
溜まりに溜まった雑務を片付けねばならない都合で、八恵は久しぶりに本宅から別宅へやってきた。
できることなら、あらゆる事を本宅の方で済ませたい、こんな別宅に一人で来たくない、それが八恵の強く想うところである。
でも、そうはいかない。
作業をする為の根本的な環境、こればかしは八恵の力でもどうしようもなかった。
「そんな雑務、だったら放ってしまえ!」
いつも八恵はそうして、可能な限りやらねばならないことは後回しにし、ギリギリまで遊び呆ける。
結局は今回のように、別宅での地獄の缶詰め作業が待っていようとも、何度だって繰り返してしまう。
ひょんなことから、大いなる力を行使する神様になってしまった八恵であるが、生まれつきの性分は変わらないようだ。
だが同時に、八恵自身、己に課せられた使命、或いは天命というものも、とっくの昔に自覚していた。
雑務であろうが何だろうが、結局は自分にしか遂行出来ない、ある種の責務であるそれを、踏み倒してしまうことはない。
何だかんだでやる時はしっかりやる、それが昇千妃八恵でもあった。
とはいうものの、今回も死に物狂いで力を発揮して、ようやく雑務の山をこなしたわけであり
――「ふにゃあ……」
力を使い果たした八恵は今、解放感に満ち溢れながら夢の世界へと慰安旅行真っ最中だった。
苦しみが大きければ大きいほど、それを克服した時の達成感や幸福感も大きくなる。
抱き枕をぎゅっと抱き寄せて埋める顔、その表情は緩み切っており、今にも口元から涎が垂れてきそうだ。
時折漏れ出すふにゃけた寝言からも、相当にゴキゲンな夢を見ているのは間違いない。
元々寝ることが大好きな八恵にしてみれば、これ以上にない甘美たるご褒美と言えよう。
眠りの快楽は、時に意識を夢に縛り付け、現実から遠ざけてしまう。
もしかしたら八恵は、このまま一生、夢から戻ってこないのではないか。
傍からは見えればそう思えるほどに、八恵は本当に幸せそうだった。
スゥ――
しかし、そんな八恵の幸せの旅路は、突如として終わりを迎える。
「……んにゃ……?」
ドンッ。
「にゃふん!?」
ドジンッ。
「にゃにゃにゃー!」
バタバタバタ――
埃が舞い、鈍く空気が震え、暫し静寂が部屋を包み込んだ。
「……あいたた、またかぁ……折角、イイ夢見てたのに……」
打ち付けた尻を摩りながら身体を起こし、目尻に涙を浮かばせて八恵は嘆く。
被っていたナイトキャップは振り落とされ、艶やかに整った赤い髪もぼさぼさに乱されてしまった。
一体何が起きたのか。
この館に居る別の誰かが八恵の安眠を大層荒々しく妨げでもしたのかとも思われるが、此処には彼女一人しかいないわけで――
今しがた、八恵の身体はベッドから浮かび上がり、加速を伴って天井に浮上した後、ベッドへ落下、更に床へ転がり落ちたのだ。
当然のことながら、人間であろうと神であろうと、寝ながら空に向かって浮上するなんてこと、普通起こりえない。
ならば八恵は、無意識に、空中浮遊マジックの練習でも始めてしまったのか。
これも、当然ながら否。
今起こったのは、八恵に宿る絶対的な神の力――リバティック・フォース――の仕業であった。
正確には、力を取り巻く環境、即ち、八恵の居る空間に起因した現象と言える。
この八恵の別宅がある環境というのは、彼女が神として力を使って使命を全うするためにだけに創られた特別な時空間、いわば、唯一無二の神域次元である。
この神域では、常に、八恵の意思とは無関係に、彼女の力を無限に増幅させ続ける作用が働いている。
そんな状況下で、完全に意識を失うほどに熟睡しようものなら、八恵の内にある力はコントロールされることなく増幅し続け、結果として、彼女の身体の外へ滲み漏れ出すこととなる。
そして、漏れ出した力は八恵に纏わりつくが、当然増幅は止まることなく、最終的に彼女を包み込む力の塊は、発散という名の、ある種の暴走を引き起こす。
その暴走した結果の一つの形が、反重力解放――睡眠中の自由落下――というわけだ。
どうにかできないかと、以前より何度か、身体をベッドに縛り付けて寝てみる実験をしてきたが、いつもベッドごと浮かび上がって天井に激突する結果に終わり、天井にぶつかっても目が覚めなかった時は、屋根を突き破って、危うく次元の彼方へ吹っ飛びそうになる始末だった。
そんな暴走を、過去に何回も、何回も、八恵は身に受けてきた
もちろん、此処で寝る以上、そうなってしまう場合があるということを八恵は一応理解し、受け入れた上で、この選択をしてはいる。
してはいる……のだが、こうやって毎度のように寝覚めが悪い結末に収束することに対して、不服であったのは間違いなかった。
夢の続き、見られなくなるし。
それでも、これも仕方のないことだと諦め、彼女は何とか無理やり受け入れているつもりであった。
そうでもしなければ、やってられないのだから。
……実際、そうしたところで八恵がやってられるのかと言えば、あまりやってられていないようだが。
叩き起こされた後、夢の続きが見られるわけじゃないし。
「……はぁ。目、覚めちゃったし、さっさと帰るとするかな……やっぱ此処は嫌いだっ」
膨れっ面となった八恵は、雑にパジャマを脱ぎ、そそくさと普段着に着替えた。
白いシンプルなシャツからは、へそをちらりと覗かせ、赤いチェック柄のプリーツスカートの下には、ニーハイとの絶対領域が眩く織り成されている。
最後の仕上げに、青い華を取り付けたお気に入りの帽子を頭に乗っけ、八恵は別宅を出た。
「ふん、今度こそ、もう二度と、こんな場所来るもんか!」
横目で別宅を睨みつけ、そんな言葉を吐き捨てながらぷりぷりと歩みを早める八恵。
いつもこんなことを言っているが、もちろん暫くしたら必ず来なければならない。
逃れらぬ運命に対する、八恵のせめてもの遠吠えである。
どちらかというと、負け犬的な。
「……まあ、当分は雑務なんか無いだろうし、心落ちかつかせて、まったりとしようかねん……とりあえず、ユカっちのとこにお茶でもたかりに行くとしようかな」
三歩歩いて先ほどまでのことをもう忘れてしまったのか、さっきまでとは打って変わり、いつもの調子で口元を緩めながら本宅への帰途に就く八恵。
その足取りはとても軽やかで、楽し気なものであった。
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[ヤエ's comment]
どこまでもお気楽でマイペースな天質というのは、どんな力よりも強いのかもしれない。
まあ、そういうのを持った輩を相手にするのは非常に面倒でしょうがねぇ。
2020/12/25 微修正を実施
2020/10/24 大胆に加筆修正を実施