ハレ・リボン

 

-------------------------------------------------------------------------

 

「~♪」

軽快で、どこかふわっとしたメロディーが空間を包み込む。

旋律は絶妙な反射を起こして空間の隅々まで行き渡り、柔らかい音の波が発生している。

「ふ~んふふふ~んふふ~ん」

その波源には、椅子に腰かける少女が居た。

少女の手元には、手のひらよりちょっと大きい程度のコンパクトサイズな本があり、彼女はそれを、黄金色に澄んだ瞳を爛々とさせ、読み進めているようだった。

全体的に薄桃色ベースの配色で、表題に「桜恋」と書かれたその本は、名前からして、乙女心揺さぶる恋愛系の読み物だろうか。

瞳と同じく、まるで星のように綺麗で、艶やかに輝くブロンドの髪を時折揺らしながら、あっと驚いたり、にこにこと満面の笑みになったり、ころころと表情を変える。

その様子は、傍から見ている人まで優しい気持ちにしてしまうかのように、愛らしく、暖かなものだ。

 

そんな、見る者を癒すかのような少女の名は、明燈想陽子という。

想陽子の家は、ちょっとした雑貨屋さんみたいなものであり、大体いつも、こうやって店先で本を読みながら、お客が来るのを待っている。

可愛らしい店主、兼、看板娘として巷では有名で、想陽子のお店は連日お客さんで賑わい、読書タイムを満喫できることの方が少ない―――

「……うーん、今日もやっぱりお客さん来ないなぁ」

なんてことはなく、ちょっとだけしんみりと、こうやって呟くのも、一体これで何度目であろう。

想陽子の店は、いわば大通りと呼ばれる道からちょっと外れた場所に在り、店も、そんなに大きいわけではない。

一方で、大通りと呼ばれるようなところは当然人通りも多く、比較的規模の大きい様々な店が軒を連ね、雑貨屋系統も例外ではない。

ちょっと離れたところがそんな場所であれば、中々お客が来ないのも仕方のない話であった。

しかし、お店を開くのには不向きなこの環境下で、想陽子がこの店を構え、もうどれくらい経つだろうか。

それでもずっと、此処で店をやっているということは、想陽子自身、お客が中々来ることのない現状を、特別気にしているわけでもないということであり。

「まあ、そのうちきっと……それまでは、この本読んでよ~っと」

湯気が立ち昇るコーヒーをそっと口に運びつつ、想陽子はこの日もいつも通り、ゆっくりと流れる時間に身を任せ、穏やかに過ごすのであった。

 

コツ、コツ、コツ、コツ。

店内には、掛け時計の針の刻む音が響き渡る。

本の世界に夢中になって心を弾ませるあまり、うっかり歌ってしまっていた心地良い鼻歌が止んでから、どれ程の時間が経ったか。

読書のお供に用意したコーヒーもすっかり冷め、店に差し込む日の光の位置も随分と動いたようだ。

相変わらず来客は一人もなく、黙々と「桜恋」を楽しそうに読み進めている想陽子であったが、ふと、ページを捲る手を止め、視線を宙に泳がせ始めた。

「……」

何かを考えているかのような―――その矢先。

「んー、今日はもうお店閉めちゃって、ちょっとお出かけでもしちゃおうかなっ」

そう独り言ちたと思ったら、想陽子は手元の栞を読みかけの本に挟んでぱっと閉じ、そして残り少なくなっていた飲みかけのコーヒーを一気に飲み干して、空っぽになったマグカップ―――赤・青・黄色の花が描かれた想陽子特製の一品で、彼女の雑貨屋で販売中―――を持って、席を立った。

ゆとりのある、もこもこした毛糸生地の服に、ひざ下まで届くゆったりとした花柄のロングスカートを主コーデとしている想陽子は、そのゆるふわな見た目と違って、意外に即決即断の行動力を持ち備えている。

想陽子が取った一連の行動というのは、何となく今日は誰も来ないだろうと踏んだ彼女が、お店番モードからお出掛けモードへ、まさに切り替わった瞬間であった。

そうして、お出掛け準備フェーズに移行し始めた想陽子は、マグカップを手にして身体を後ろへ半回転し、目の前の押し扉を開けて進んでいく。

想陽子が先ほどまで居たレジカウンターテーブル、その裏手にある扉は、想陽子の居住スペースへと繋がっており、彼女は扉の先、歩いてすぐ右手にあるキッチンへと向かった。

想陽子宅のキッチンには、雑貨屋の娘らしい、お洒落で可愛らしい食器や、料理に使う調味料などが、収納棚にぎっしりと仕舞われている。

食器の類が、一人で暮らしている想陽子には多すぎるようにも思えるが、その中には特定の来客専用の物も含まれており、また、結構な頻度で来客があるため、それら食器も使われる機会は多かった。

ただ、使われる食器の量に対して、それらを洗うシンクは少々小さく、来客が多いときは、洗い場がよくパンクしてしまうのがちょっとした悩みである。

といっても、洗うのが面倒になり、食器が放置されてシンクに山を築くなんてことはなく、普段は特に問題なく洗い場は空いており、今回も、想陽子は余裕のあるシンクでマグカップを手早く洗って、簡単にタオルで拭いて自然乾燥させた。

キッチンスペースの目の前には、作業場にもなっているダイニングが広がり、想陽子はそこに置かれた、木目調のちょっとアンティークな帽子スタンドに掛けられている、赤茶色のベレー帽を手に取って、頭にフィットさせた。

絵描き屋さんといえば、ベレー帽――という固定観念めいたものを抱き、昔から絵描きを趣味としている想陽子にとって、このベレー帽は拘りの一品で、今となっては、まるで身体の一部のように頭へ馴染むようになっていた。

「うんうん、やっぱり落ち着く」

いつもと変わることのない装着感に、想陽子は今日も満足しつつ、ちょこっと可愛らしいリボンの装飾があるお出かけ用のポーチを手に取って、またお店の方へと、いそいそと戻った。

「よーし、準備もできたし出発しようかな。今日はどこに――」

突発的に出掛けようと決めたものの、どこに行くかまでは決めていなかった想陽子は、行先を思案しようとした。

タッタッタッタッタッ。

「……ん?」

その時、どこからか、店の外からか、石畳を踏み鳴らすかのような足音が聞こえた。

タンッタンッタンッタンッダンッ――

その音は段々と、急速に、大きさを増しきている。

どうやら、このお店に近づいているようだ、想陽子がそう感じたと、ほぼ同時。

「やっほーソヨっち! 今日も元気にしてるー?」

突如、ガランと店の扉が開かれ、エネルギッシュに燃えるような赤い髪と、チェック柄のスカートを揺らす少女、昇千妃八恵が元気よく参上した。

「あ、八恵ちゃん! いらっしゃ~い」

「ふっふっふ、店内のこの様子からして、今日も読書が捗っていたように察するぞー……って、ソヨっち今から出かけるとこ?」

突然の来訪者、八恵は、店内をぐるっと見回してお客がいないのを確認し、想陽子に視線を向けると、彼女の装いが、いつもの看板娘スタイルと違うことに気付く。

「うん、ちょっとね。今日はもうお客さん来なさそうな気がしたから」

「あー、そっか。じゃあ、今日は帰った方がイイかな?」

八恵は、少々ばつが悪そうに、頬を指でかいた。

「ううん、八恵ちゃんが来てくれたから、お出かけは中止ですっ」

だが、そんな八恵と打って変わって、想陽子は突然の来客に動じることもなく、にこにこ微笑むと、そう告げたのだった。

 

「それにしても、いつ見てもソヨっちの作る雑貨は可愛いよねぇ~。このリボンもほんとお気に入りで、肌身離さず付けざるを得ない!」

そういって八恵は、白いシャツに映える首元の赤いリボンをつまんで、形を整えた

八恵は、想陽子の掛けがえのない大切な心友であると同時に、彼女のお店の常連客の一人でもある。

彼女の作る雑貨をいたく気に入っており、八恵が日常的に使用している雑貨の殆どは、メイドインソヨっちであるほどだった。

「ありがと~。そういってもらえると、とっても嬉しいな」

「雑貨のクオリティーばっちり、看板娘の人柄ばっちり、これで人が来ないなんて実に謎だよのぉ……」

「あはは、人通り少ない場所だし、あんま目立ってないから仕方ないよ」

「じゃあさ、チラシとかでも配布して宣伝してみる?」

「うーん、一応お店っていう形でこうしてるけど、完全に私の趣味でやってるようなものだし、別に物が売れなくても困らないから……そこまで、お店のアピールは積極的じゃなくてもいいかなって」

「ふーむ、そっかー」

自分のお気に入りのものが、他の人たちにはあまり知られていない、共有されていないというのは、ちょっと寂しいものだ。

想陽子のお店のこと、雑貨のことを、もっと色んな人に知ってもらいたいという想いが、八恵の心の底では渦巻いていたりする。

だが一方で、当の雑貨屋店主には、多くの人に知られたいという強い気持ちなどはなく、いつもこのようにマイペースを貫く。

そんな想陽子に対して八恵は、いつもどこかもどかしく、もやもやっと、うにゃうにゃっと、してしまうのだった

「でも、雑貨商品が売れてくれる必要はないけど、お店まで足を運んでくれたお客さんと一緒に、色々お話はしてみたいな~とかは、常々思ってるけどね」

「んふふ、ソヨっち、ほんとお喋り好きだよねぇ。特に、ザ・女の子みたいな方面の話題とか」

想陽子は、自身の店と雑貨の知名度や、商品売上の向上欲求は殆どない反面、色んな人たちとのコミュニケーション欲求を抱く饒舌少女であった。

八恵も比較的人当たり良く、色んな人と談笑するタイプだが、想陽子は八恵以上に、自ら積極的に人々に接して交流を築いていく。

かといって想陽子の場合、相手が身を引いてしまうほど押しが強すぎることはなく、絶妙なラインをキープして話に花を咲かせることのできる、本物のコミュニケーションお化けだった。

「うん、好き。お喋りはお互いのことを共有できて、世界を広げることの素晴らしいものだと思うのっ」

「にゃはは、大袈裟な~。まあ、私も、その通りだと思うけどね」

目を細め、笑みを浮かべながら話す想陽子に、八恵は朗らかに、同意の相槌をうった。

そして同時に、八恵はふっと思い出したことがあったので、次いで口を開いた。

「あ、そういえば。さっき街で聞いた話なんだけど、今度グリンヅェを中心に、数日掛かりの大規模なイベントを開催するんだってさ」

グリンヅェとは、八恵たちが住まう解放都市、その中心街にある巨大な広場のことである。

毎年春夏秋冬、それぞれの季節には、季節祭と呼ばれるお祭りが開かれ、日常的にもパフォーマーの演技場となったり、夜には即席の酒場が出来上がったりと、とにかく毎日がお祭りみたいな場所だ。

「へー、イベント?」

「うむうむ、何でも、季節祭とフリーマーケットを足し合わせたようなイベントらしくてね。各種業態、色んな方面に、イベントを盛り上げる形での参加を募り始めたんだとか」

「何だかすごそうだねぇ、でもすっごく楽しそう! わくわくしちゃう!」

「ねー。開催された暁には、是非みんなで遊びに――」

行こうね、という八恵の言葉は続かず、彼女は口は開けたまま、ぴったりと動かなくなった。

「……? 八恵ちゃん、どうしたの?」

あまりに突然、うんともすんとも言わなくなった八恵を、想陽子はきょとんと見つめ、声を掛けた。

「……」

「やーえちゃーん、おーい!」

それでも一向に応答が無いので、想陽子は八恵の肩を掴み、軽く揺すってみた。

「……閃いた」

「ふえ?」

するとようやく、開きっぱなしだった八恵の口から言葉が漏れ出たが、先ほどまでの会話の脈絡からは予想できない一言だったので、つい、想陽子は変な声を出してしまった。

「閃いたんだよ、ソヨっち!」

「え、えーと、何が、かな?」

いまいち会話の流れが読み取れず、想陽子の頭を靄が覆う。

「さっき話した、今度やるそのイベント、私たちもお店を出す側として、参加しない?」

「お店側……として?」

「そーそー、出店! つまるところ、このソヨっちの雑貨店の、出張出店的な!」

「んーと……イベントには参加したいなって私も思うけど、何で、お店として……?」

突拍子もない八恵からの提案に、理解が追い付かない想陽子。

「ふふん、考えてみたまえよ、想陽子くん。そ-ゆー沢山の人が来るようなイベントにお店を出せば、間違いなく、ある程度は目立つ」

「まあ、目立ちそうだよね。少なくとも今よりは」

「目立つということは、イベントに来ている人たちの目にも留まる」

「まあ、目に留まってくれそうだよね。少なくとも今よりも」

「するとどうなるか」

「……えぇっと、どうなるの?」

「どんなものを取り扱っているのか、気になって見に来た人たちがソヨっちの雑貨のことを知り、あわよくば興味を持ってもらえ、更に、ソヨっちは接客がてら、その人たちと自然に色々お喋りもできるでしょう……って思うわけよ!」

「……なるほど、確かに!」

八恵の口から流れ出る説明を順に追い、彼女の意図するところを何とか理解した想陽子は、目を丸くした。

想陽子のお店や雑貨を、色んな人に知ってもらいたいという八恵の想いと、色んな人と交流をしたいという想陽子の想い、その二つを同時に叶えられる――それが、八恵の提案の意味するところだった。

「名案だよ八恵ちゃん! 普段は接することのないような人たちとも、お喋りできるかもしれないし、ついでに、私の雑貨も見てもらえて……すごくいいね、絶対楽しそう! あ、でも……」

八恵の提案を聞いた想陽子は、顔をパァーっと輝かせ、一気に胸を高鳴らせている様子だった。

しかし、どうしたのか、すぐにその表情は曇り、俯きがちに口ごもってしまった。

「ん? どうかした?」

「その……ね。私のお店みたいな、小さくて、地味で、有名でもないところが、そんなすごく規模の大きいイベントに、出店で参加なんて……いいのかな? 生意気に思われたりとか――」

もみっ。

「ひゃう!?」

「……ソヨっち。お祭事において、大きいだの小さいだの、派手だの地味だの、有名だの有名じゃないだの、生意気云々だの……そんなの、関係あるわけないだろー!」

もみもみもみもみもみっ。

「あうぅっ! や、八恵ちゃんっ、だめ、やめてぇっ!」

ダイナミックな掌全体の動きと共に、まるで何かの触手のように、変幻自在にうねりまわる八恵の指が、想陽子のたわわに実った果実の上で踊り狂った。

成熟期を迎え、今が食べ頃と言わんばかりのそれは、暴れ回る八恵の指をしっかりと柔軟に受け止めつつ、縦横に振動することで、その衝撃を発散さている。

一見、想陽子には全くダメージが通っていないようにも見える。

しかし、実際には、八恵の手は的確に複数のクリティカルポイントを同時攻撃する形で揉みしだいており、着実に、想陽子はテクニカルヒットをその身に蓄積させており――

「うりゃりゃりゃりゃー!」

「だめぇ、やえちゃんっ、もう――んんっ!」

 

禁断の果実は、堕天なる神の手に落ち、果樹は脆く朽ち倒れた――

 

今日も、八恵の勝ち。

 

「お祭事は、楽しんだモン勝ち! それに尽きるのだよッ! ソヨっちが変に気にすることなんて、何一つないの! オーケー?」

「はぁ……はぁ……うう~、八恵ちゃんのいじわる……でも、そうなのかな……やりたいように、楽しんじゃっていいのかな……?」

「当然!」

してやったりな表情で、堂々と、自信満々に、胸を張って八恵は答えた。

そして、息を切らしてへたり座り込む想陽子に、手を差し伸べて訊いた。

「さてさて、それではどうなさいますか、お嬢さん?」

「……うん、お祭、参加してみたい……! 皆で、出店しよっ!」

「……にゃふふ、楽しくなってきたぞー! よし、それじゃあ早速ユカっちも呼んで、これから打ち合わせだー! レッツゴーだよ、ソヨっち!」

差し出した手をぎゅっと握ってきた想陽子の手を、同じように握り返して引っ張り上げた八恵は、無邪気な子供のような笑顔を浮かべるや否や、リボンをたなびかせ、勢いよく店を走り出ていった。

「あ、八恵ちゃん! 待ってよ~!」

急いで、ぱたぱたと八恵に続いて店を後にする想陽子。

店の扉に掲げられた「CLOSE」の看板は、どこか楽し気に揺らぎ、駆け去っていく二人の後ろ姿を見送ったのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

[ヤエ's comment]

何だか青春って感じだよねぇ。

自分も来世は美少女に生まれ変わって、女の子同士の青春が送れるよう頑張りたい(何を?

 

2020/12/25 微修正を実施

2020/10/31 穏当に加筆修正を実施