独奏コンチェルト
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チチチ、チチ、チュンチュン、チチチ。
「ん……んんー……」
何処からか、鳥の囀りが聞こえてくる。
小さな声ではあるが、朝方の静寂な空間にはしっかりと響き渡る。
この声は、朝が来たことを意味し、そして夢の世界へ旅立っていた者たちを、現実へ戻す力を持つ。
自然由来の、目覚まし時計。
けたたましく金属、電子音を鳴り響かせ、人々を無理やり現実へ帰還させるアラームクロックなんかより、よっぽど身体に優しい。
規則正しく生活を送っている者ほど、その優しい声は身体に浸透して、意識が覚醒していく。
瞳を開き、ゆっくりと身体を起こす彼女も、そうして目が覚めたようである。
「朝……? しまった、そのまま寝ちゃったか」
目を擦り、眉間の辺りを指で揉みほぐしながら、紺乃宮結奏は状況を把握していく。
机には、書き掛けの五線紙と飲み掛けのコーヒーが置かれ、手元を照らすランプが点いている。
手元には鉛筆が転がっており、夜更けまで楽譜制作の作業に徹して、そのまま机に突っ伏す形で寝落ちしてしまったらしい。
頬には腕枕の跡がついていて、いつもの結奏らしからぬその表情は、少しキュートにも見える。
「とりあえず、シャワーでも浴びて、今日の準備をしないと」
結奏は普段、彼女が住まう街である解放都市を中心に、音楽家、とりわけ演奏者として活動している。
老若男女、全ての者たちに音楽を愉しんでもらうのをモットーに、解放都市での公演以外にも、旅と称して地方まで遠征しに行って、演奏会や、地元の人たちへの音楽講習会をやることも。
一番愛着があるという理由でヴァイオリンでの演奏が多いが、結奏に専門とする楽器はなく、どんな楽器でも卒なく奏でることができ、多種多様多彩な者たちが集うこの解放都市でも、ここまで音楽面全体の才能に秀でた者は他に例がなく、必然的に、彼女の名は広く知れ渡っていた。
日々絶えず、彼女のもとには公演依頼が舞い込んできて、忙しい毎日を送ることになっているが、結奏自身、それを大いに楽しんでいるので、特に問題は無い様子なのであった。
「ふぅ、さっぱりさっぱり」
しっとりと濡れたブラウンの髪を携え、羽織る程度にシャツを着た結奏の身体からは、まだ湯気が立ち昇っている。
いつもは、その髪は団子状に結われているため、中々意識することないが、彼女は意外と長髪である。
シャワーを浴びるときぐらいしか結奏は髪を下ろさないため、普通の人ではまず拝むことのできない、この貴重なショット。
「はい、忙しい朝にはこれを一杯、愛情たっぷりのカフェオレ~」
「あぁ、ありがとさん……で、何であんたが居るわけ?」
そんなレアな姿の結奏を前にしても特別な反応を示さず、にこにこしながらカフェオレを手渡すのは、"普通の人"ではない者、昇千妃八恵だった。
「あ、ソヨっちも居るよん」
「おはよ、結奏ちゃんっ」
そして部屋の隅からは、これまた"普通の人"ではない少女、明燈想陽子が、朝日のような柔らかくて明るい笑顔を浮かべて、ひょっこり姿を現す。
「八恵ちゃんが、今日は公演があって朝から結奏ちゃん忙しいだろうから、一緒にお手伝いしよ~って言ってきてね。だから、来ちゃいました……!」
「あたしはいつも忙しいが……まあ確かに、今は作曲の方も進めてたりで、普段よりはちょっと余裕無いかな」
演奏者としての音楽活動を主にしている結奏には、作曲者としての一面もある。
といっても、彼女が作曲をするのは大体が私的、具体的には「無次元トリティジャーノ」での活動の一環としてぐらいだ。
「無次元トリティジャーノ」とは、八恵を筆頭リーダーとする、結奏と想陽子がメンバーの三人グループのことで、彼女たちそれぞれが持つ力を使って、楽しいことをするというのを活動方針にしている。。
つい先日、八恵が、結奏の力――曲史(歴史を聴覚で認知できる楽曲)を創り演奏することができる――を存分に使った活動をしようと提案したところ、ちょっとした音楽CDを制作することになった。
その結果として、結奏は現在、忙殺されそうな公演スケジュールをこなしながら、合間を縫って作曲活動(正確にいえば曲史創造活動)をしているのだった。
「その、何も言わず突然来たりしてごめんね? 邪魔だったり、迷惑だったら、遠慮なく言ってくれていいからね」
「……ううん、邪魔なんて、迷惑なんて、あるもんか。ありがとな、想陽子。嬉しいよ」
優しげに想陽子を見つめながら、紡がれる結奏の言葉。
それを聞いて、想陽子も嬉しそうに笑みを浮かべた。
「しっかし、ほんとユカっちイイ匂い~。やっぱり、風呂上りを見計らって突撃するのが一番だねぇ」
「……想陽子、早速で悪いが、あたしに纏わりついてるコイツを縄で縛りあげるの、手伝ってくれるか?」
「あ、あはは~……八恵ちゃん、結奏ちゃん準備しなきゃなんだから、離れよ~」
「むぅ、仕方ないなぁ、続きはまた後日……おんや、少し膨らんだ?」
「殴るぞ……」
結奏のことを身体一杯に背後から抱きしめて、うなじの辺りで深呼吸しつつ、そっと胸元をまさぐろうとした八恵を、結奏はぐいっと身体から引き剥がした。
殴るなんて物騒なことを言いつつ、いつもどんなに弄られようと、結奏が手をあげることは決してないのを知っている想陽子は、この光景を微笑ましく見守るのであった。
「それで、今日の公演はミュゼットだっけ?」
「あぁ、1番街のミュゼット音楽劇場。昼公演と夜公演の、いつものパターンだ」
解放都市には、いくつか芸術関連の劇場がある。
その中でも、1番街に古くから立地するミュゼット音楽劇場は、音楽の公演を専門とする、最も歴史のある劇場だ。
ミュゼットの舞台で演奏した個人や楽団は、演奏者として一つ大きな高みに昇ったと言われるほどには、ミュゼット音楽劇場での公演は名誉なことである。
しかし、最高レベルの演奏者である結奏ともなれば、劇場の方から頻繁に声を掛けられ、ミュゼットでの一日通しのライブはよくある話となっていた。
当人も、この現状にはとっくに慣れてしまい、最近は少し依頼頻度を減らして欲しいと言うほど。
「名誉ある劇場での演奏は確かに嬉しいことだが……こう、頻繁だと、ちょっとな。他の場所でも、もっと積極的に演奏したいというか」とは結奏談。
誠に、贅沢な悩みだった。
「えぇっと、確か今日は、オーケストラコンサートなんだよね?」
「ああ。だからこそ、少々忙しいんだけどな……」
「ユカっち、ソロコンサートだったら大抵遅めに会場入りして、殆ど練習もしないでぶっつけ本番、でも公演は大成功~って感じで、ゆったりしてるもんねぇ」
「ひ、人聞きが悪いぜ……ソロの時だって、しっかりこっそり、練習してるっつーの……」
「ふーん?」
「ニヤニヤすんなっ!」
ジト目で口元を弛め、上目遣いに見てくる八恵から、ぷいっと結奏は顔を背けた。
「あはは……でも確かに、結奏ちゃん、オーケストラの時の方が頑張って練習してる姿目立つし、一人のときより、活き活きしてるなぁとは感じるよ」
「ん、まあ……オーケストラは、個人個人の音が優れてるだけじゃ、最高の音楽は奏でられないからな。奏者全体での、音の調和がとれないと。そのためには、全体での合わせ練習は当然絶対に欠かせないし、楽団の皆と、ある程度の交流はとらないといけないし……そうした取り組みってのは、それはそれで、ソロのときとは違う楽しさがあるというか……さ?」
結奏はちょっとだけ恥ずかしそうに、いつもは話すことのない、彼女の演奏者としての考えをつらつらと語った。
「そこまでしっかり考えて、自身も楽しみながら音楽に向き合う……流石はユカっち、言うまでもないけど、立派なプロだねぇ、ほんと」
「ふ、ふん、演奏者なら誰だって考える、当たり前のことだっ」
「でもね、結奏ちゃん、ほんとにすごいよ……オーケストラの時も、他の楽器の音色を引き立たせるように、すごい綺麗にハーモニーを奏でるし、ソロパートでもすごい格好良く弾きあげて、観客みんなを圧倒させちゃうし……やっぱり結奏ちゃんすごいなぁって、私いつも思うの……!」
「うぅ、すごいすごい言いすぎだぜ……」
「ふふーん?」
「だーから、ニヤニヤすんなっ!」
「あいた!」
ただただ褒めちぎってくる想陽子から、結奏は視線を逸らし、ひどく頬を紅潮させた。
そして、その姿をまたしても口元をふにゃふにゃさせて眺めてくる八恵に、結奏はデコピンを喰らわせてやった。
「ふふふ……あ、結奏ちゃん。気付いたらこんな時間だけど、そろそろ準備しないとかな?」
「おっと、いけない。そうだな」
「じゃあ結奏ちゃん、キッチン貸してもらえる? よければ、軽食とか作ろうかな~って思うんだけど」
「ありがと、想陽子。お願いできるか?」
「うん、任せて!」
想陽子はパッチリと結奏にウィンクし、小走りに準備へと取り掛かった。
「私は……またいつもみたいに、現地で色々、スタッフ作業させてもらうってことでイイかな、ユカっち?」
「お、おう……頼むぜ、八恵」
ほのかに頬を紅潮させ、素っ気なさげに答える結奏。
そんな彼女へ、八恵はにっこり笑顔で応えた――のだが、次の瞬間には、既にその表情は妖しくなっており、手をわしゃわしゃと動かし、じっとり結奏を見て口を開いた。
「ほんじゃまあ……と・り・あ・え・ず、出発するまでは、お風呂上りでホカホカなユカっちを、くんかくんかしてパワー注入しておこっかな!」
「えぇーい! だから準備の邪魔をするなっつーのっ!」
「八恵ちゃん、ダメだってば~!」
そんな調子で結局、終始ドタバタしっぱなしではあったが、何とか結奏たちは時間通り会場入りし、その日の公演も滞りなく、無事に成功させたのであった。
確かに、ドタバタさを鬱陶しく感じる時もある。
しかし、その感じ、その空気感が常にあったからこそ、今の結奏があるといっても過言ではないのかもしれない。
あったらあったで喧しい、でも、ないとないで寂しく、物足りない。
後者の気持ちの方がより強く、そしてより辛くて――
「……ふふ、あたし単独の活動も、結局は『無次元トリティジャーノ』の活動の一環みたいになっちゃうんだもんな……」
「んにゃ? ユカっち何か言った?」
「いや……何でもないぜ」
「はい、結奏ちゃん、八恵ちゃん。食後にぴったりな、とっておきのデザートワインだよ」
コンサート終了後、公演メンバーやスタッフたちとの打ち上げ一次会を済ませた三人は、打ち上げ二次会ということで、想陽子の家にやってきた。
「サンキュ。あぁ、甘くて良い香りだな」
「にゃっほーい。これまた上物を出してきたねぇ、ソヨっち」
「さて、それでは……改めて、結奏ちゃん! 今日も一日、お疲れさまでした! コンサート成功を祝して、乾杯!」
「おつかれー! かんぱーい!」
「2人とも、今日は一日、本当にありがとな……嬉しいぜ。乾杯っ!」
カチンッ。
祝杯の音を響かせ、極上の食後酒で舌を弾ませる、三人の少女たち。
彼女たちの夜は、とても賑やかに、ゆっくりと、更けていくのであった。
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[ヤエ's comment]
一緒にわちゃわちゃして、一緒に笑い合って、一緒にお酒を呑む。
ふっと顔を上げたら、いつもの面子がそこにいる…掛け替えのないことです。
2020/12/25 微修正を実施
2020/11/1 盛大に加筆修正を実施