Beyond the rain [First]

 

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「んんー……ふわぁーふ……」

重く閉ざされた瞼をゆっくりと開けると、世界がぐにゃりとボヤけ、ここが何処なのかうまく認識もできない。

「んむぅ……今は、何時……」

夢か現実か、判然としない意識のまま、固まりついた身体を何とか力を振り絞って動かし、ベッドの傍らに置かれた時計を確認すると、短い針が既にてっぺんを過ぎていた。

あぁ、今日も今日とてこんな時間か。

もっと早くに起きて、一日を悠々自適に過ごしたいと毎日のように思うものの、どうにもお布団には敵わない。

しかし、これは仕方のないことである。

お布団の抱擁、それは赤子を慈愛に満ちた母親が優しく抱きかかえるかの如きで、面倒な事も、嫌な事も、心身の疲労も、身体を預けるだけで、全てをお布団は受け止め、包み込んでくれるのだ。

それがもたらす癒しの力、そして感じられる恵愛の念が絶大であるのは言うまでもなく、神であろうとも、お布団を強行的に振り解くことなど、できるわけがないのである。

なのに無理矢理人、お布団を振り払って目を覚ますというのは、自分に向けられた大いなる慈しみを無下にする行為であり、まさに、天地自然の理への叛逆に匹敵する。

そのようなことをしてまで早く目覚めたところで、その後一日の活動で、果たして良い事などあるのであろうか、いやない。

ならば、吾々がするべきことは唯一つで、無理には起きず、身体が寝ていたいと求めるならば、お布団に甘えて包まれ続ける。

そうした後、十分に睡眠を確保出来たと身体が判断したならば、いよいよお布団から離れる巣立ちのときだ。

これこそが、自分にとっても、お布団にとっても、最善な必要十分条件を満たした起床に違いなく、これこそが、ベストな睡眠の形のはずなのだ。

だから……そう、ついうっかり寝すぎてしまうというのは、仕方のないことなのである――

そんなことを、先日遅刻して参加したお茶会の場で熱く語ったところ、「何を言ってるのか全然分からんが、寝坊の言い訳でしかないな」と飽きれた様子で紺乃宮結奏にはバッサリ切り捨てられ、「早く起きたいなら、前日夜更かしせずに早く寝ればいいと思うよ」と明るい顔で明燈想陽子には至極真っ当な指摘をされてしまったのであった。

「いやまあ、そうだけど……ほんのちょっとぐらい、私の考えに理解を示してくれてもねぇ……んっ、ふわーあ……」

眠りの持論と、お茶会での事を思い返しつつ、弛みきった顔のパジャマ少女、昇千妃八恵は猫のように身体を伸ばし、盛大な欠伸をして、その意識をようやく覚醒させ始めた。

 

「むぅ……何かやけに暗いと思ったら、今日は、雨かぁ……」

この日の解放都市は、比較的珍しい雨模様だった。

家の外に出ると、雨のときに香る、特有な湿った匂いが鼻に広がり、少しだけ表情が曇ってしまう。

正直なところ、あまり雨は好きではない。

外出すれば身体は濡れてしまうし、雨脚が強ければ別途雨具も必要になるし、雨の匂いは苦手だし、外はどんよりと薄暗くて、気分も晴れなくて――

雨は大地を潤す天からの恵み、なんて言う人もいるようだが、八恵にとって雨とは、天より降り注ぐ世界の涙のようなものであった。

涙と言うのは、見る者の心にも伝染する哀しみの雫であり、八恵は雨を見ていると、ちょっとずつ、ちょっとずつ、哀傷で胸が痛みだしてしまう。

独りで居る時だと、尚更その痛みは広くて、深いものとなり、やがて苦痛となる。

そうなると、やっぱりどうしても辛いので、雨の日というのはいつも以上に独りになることを避け、なるべく結奏や想陽子と一緒に、愉しい時間を過ごせるようにするのがいつものお決まりだった。

「こんな日は、ソヨっちとユカっちを集めてトランプ大会でも……そんでもって夜は、ソヨっち特製料理を3人で囲んで、お家ディナーかねぇ。にゃふふ」

だから今日も、親愛なる心友との事を考え、少しでも気分を上げて、頭に被った帽子を整えた八恵は少し駆け足気味に、街へと繰り出していくのだった。

 

家を出た後、まずは想陽子の家であり、同時に、彼女自身がひっそりと趣味で切盛りをしている雑貨屋がある、カルネーシア地区へと足を運んだ。

解放都市の北側、そこには種々多様な商店が軒を連ねる地があり、人々はそこを、カルネーシア地区と呼んでいる。

この地区に在る商店の密度は、中央街のそれすらを上回ると言われている程で、連日途絶えることなく多くの人が訪れ、活気に溢れている。

また、この地区は大きく分けて、大通りと小路通りの二つに種別されるが、小路通りの方に入ると中々に入り組んだ構造をしており、初めて足を踏み入れる人は迷子になってしまうこともあると聞く。

ゆえに、小路通りの方はお店巡りが本当に好きな人たち、もしくは地域住民ぐらいしか人の往来はなく、大通りと比べると、だいぶ大人しい印象を感じられる。

そんな静かな小路通り、その片隅に、想陽子の雑貨屋はこっそりと構えられているのだった。

八恵は言わずもがな、想陽子の雑貨屋の一番の常連で、どの道を通って行けば彼女のお店への最短・最速ルートになるかも把握している。

なので、この日も迷うことなく、八恵はカルネーシアの道中を過ぎていった。

しかし、道に迷ってしまうだとかの心配はないのものの、ただ一つだけ、気掛かりなことが、八恵の頭には纏わりついていた。

というのも以前、八恵と想陽子と結奏で集まって、雨の日の過ごし方について雑談した際。

「雨の日って、晴れの日に比べると一年通してそんなに無いから、むしろ雨だからこそ、私は外に出たくなっちゃうかなぁ。雨が降ってるだけでも、街の景色って結構変わってね、そういうのを見て回るのが好きなのっ。あと、雨具にも色々可愛い物があって……それは雨の日じゃないと、使えないでしょ?」

そのように、想陽子は晴れの日よりも、むしろ雨の日の方がお出かけ意欲が増すと言っていたことがあったのだ。

そして事実、雨が降ってるときの想陽子の店の休業率は高く、遅めの時間に訪問したら、留守にしていたことが過去幾度もあり――

「もうお昼過ぎだからなぁ……うむむ、頼むぞソヨっち~」

今まさに、この瞬間に、想陽子がお店を出て何処かに行ってしまうのではないか、或いは、時既に遅しなのではないか、そんな不安が頭をよぎる度に、八恵の足の動きは速まるばかりで―――

ようやく、小路通りの一角に辿り着いたとき、八恵は半ば祈るような思いで、想陽子の雑貨屋がある方向を眺めた。

すると視界の中に、確かに明かりの点く、小さめで可愛らしい建物の姿、想陽子の雑貨屋が確認できた。

「良かったぁ、間に合った……!」

どうやら、想陽子が店に居るらしいことにホッと安堵し、自然と駆け足気味に入口に駆け寄っていき……

「ソヨっちー!あーそびーま――」

ドアノブに手を掛け開けようとしたところで、身体が動かなくなってしまった。

入口の向こうから、話し声が聞こえてくる。

扉にはめ込まれたガラスから、そっと、明るい店内に視線を向けると、数人の客と思われる人たちの姿が見えた。

その客人たちは、テーブルなどに置かれた小物類を手に取って談笑しており、よく見たら、レジカウンターから出てきた想陽子も、その中に混じっていた。

そして、客人と一緒に話している想陽子の顔は、大層キラキラと輝いているように見え、扉を間に挟んでも、こちらに楽しげな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。

「……これじゃあ、仕方ないね」

その様子を見た八恵は、少し残念な気持ちもあったが、微笑みを浮かべ、ドアノブに掛けた手をそっと離した。

決して客足が良いとは言えない想陽子の店に、一度に複数人のお客が訪れるなんてことは滅多にない。

きっと、今回の客入り具合は想陽子自身も驚いたであろうが、同時に、とても嬉しかったに違いないことは、彼女のあの顔を見れば分かる。

想陽子のことだから、このまま八恵が店に入って、一緒に結奏のところに行かないかと誘えば、きっと二つ返事でお店を閉めるであろう。

だけど、もちろん、そんな野暮なことはしない。

するわけがないのだ

「ふぅ……せめて、ユカっちぐらいは確保しないと」

深呼吸をした八恵は、ゆっくりとその場を離れ、気を取り直し、次なる進路へと足を動かしたのだった。

 

結奏の家は中々大きい。

外見から醸される、優雅で、気品あるその雰囲気は、それこそ想陽子の家とは対照的な印象を感じてしまう程である。

解放都市の中心街から少し離れ、周囲の緑が豊かな静かなところに立地していることも、その雰囲気を強めているのだろう。

普通の人が見たら、ここに住んでいる人はさぞ特別な人なんだろう、そう思ってしまうかもしれない、そんな特別さが、此処からは発せられている。

ただ、別に結奏は、自身のステータスを家に反映させ、誇示するとかいう性格の人物ではない。

結奏が所持する、愛用の楽器や音楽関係の書物を適切に収納できるだけのスペース、実際の劇場などでの演奏を想定して練習ができる、特設の防音ホール、家中の温度と湿度を常に一定に保てるだけの設備や、空間構造、あとは、八恵や想陽子などが押しかけても愉しく過ごせるだけの、家としての各種諸々(これに関しては八恵が強く要望した形だが)――

このように、音楽家として満足できる環境を求めた結果、今のような大邸宅になっただけなのである。

至ってシンプル、そして自然な成り行きで完成された家、というわけだ。

「まあ、それにしたってやっぱ良いお家だよねぇ」

そんな結奏邸を見て、商業地区、カルネーシアの地よりすっ飛んで来た八恵は、一体今までに何度ご用になったか分からないこの家を軽く褒めつつ、入口の門構えを抜けた。

「そんじゃまあ、今日はユカっちと二人で、お家デートでラブラブとしようかねん」

そうして今日、この後のことを妄想し、たるんだ表情を隠せぬまま、玄関扉のノブに手を掛け……

「ユカっちー!あーそびーま――」

元気よく入口を開けようとした。

ガチャン――

まさにその時。

「ぐはッ!」

ノブを引く寸前、勢いよく玄関が開かれ、扉がダイレクトアタックを仕掛けてきた。

当然、そんな攻撃を受ける構えなんてしてるわけもなかったので、突然の物理ダメージをモロに喰らった八恵は、そのまま玄関前に倒れ込んだんだ。

「ん……? ってうおぉ、八恵か。何してんだ、そんなところで……?」

「いったたたぁ……もー、ユカっち、ひどいじゃないかー!」

倒れたまま振り返って見ると、扉の陰から顔を出したこの邸宅の主、結奏がこちらを、恐る恐ると見下ろしていた。

「いやいや、そう言われても。あたしだって、玄関開けたら何かぶつかった感じがして、ビビったんだから」

「うぬー……」

「まあ、悪かったって」

八恵は結奏から差し伸べられた手を借り、倒れた身体を持ち上げ、白いシャツについた砂埃を手で払いながら、一緒に吹き飛ばされた帽子を頭に掛け直した。

「私のことを勢いよく押し倒して、こんなにも純白を汚すだなんて……これは、相当な埋め合わせをしてもらわないとですよ~結奏さ~ん? ということで、今から私と2人でイチャラブお家デー――」

「おっと、こんなことしてる場合じゃないんだ。特に用が無いなら、あたしは行くぞ」

「ちょいちょい、まだ話してる途ちゅ……え? ユカっち、これから出掛けるの?」

にやにや顔で話す八恵をよそに、結奏は腕時計を見て、急ぎ足にこの場を去ろうとしていた。

「あぁ、ちょっとこれから、劇場で演奏しに中央街まで」

「あ、あれ……今日は公演の予定無いって言ってたよね?」

八恵とて、結奏や想陽子が用事がある日には、このように押しかけるようなことはしない。

事前に、お茶会などで集まった際、各々の先々の予定を聞き出し、把握した上で、自分が暇なときに予定が空いてる者の元へ突撃するのだ。

音楽家として、日々忙しく活動している結奏のスケジュールに関しては特に念入りに空いてる時間帯を押さえ、お手伝い以外では、演奏の仕事前などに彼女の元へ訪ねるなんてことはない。

今日だってもちろん、結奏が空いていると言っていたから、こうやって来たのだが。

「ちょうどさっき、急な依頼が来てな。何でも、本来コンサートに出る予定だった演者が、急遽来れなくなったとかで……それで、あたしも暇してたし、まあいっかなってことで、代役として引き受けたんだ」

「えぇ、そんなぁ……」

「その様子だと、どうせまた遊びに来ただけだろ? だったら悪いけど、また今度にしてくれ。それじゃあ――」

「誰か、誰か他の、別の人に任せることはできないの……?」

つい、せがむように口が開いてしまった。

「……あくまであたしに依頼が来て、そして、あたしがそれを受けると言ったんだ。確かに、あてがないってことはないが……もう、向こうはあたしが来るものと思ってるし、今からそれを裏切ることは、できない」

「うにゃ……じゃ、じゃあ、せめて、私がお手伝いしに行くのは……?」

「あたし単独や、馴染みの楽団のライブのときみたいな状況とは違うからな……あんたを連れて行っても、邪魔になるだけだろうと思う」

「うぅ……そう、だよね……」

しゅんとうなだれ、帽子のつばで、前が見えなくなった。

ただただ、哀しかった。

家を出る時に、いたずらに、想陽子や結奏たちと過ごす時間を想像してしまったこと。

この後、当然のように、彼女たちと愉しいひと時を過ごせるものだと思ってしまったこと。

期待した分だけ、それが叶わないことの反動は強く、どうしても哀しくなってしまった。

それから数瞬の間、沈黙が広がり、さめざめと降りしきる雨の音だけが、耳につき――

「あ……ごめん、引き止めちゃったね……演奏のお仕事、頑張ってきてね。それじゃっ……」

これ以上は、自分の心まで、雨模様になってしまいそうだったから。

せめてもの思いで、精一杯に笑顔を繕ってから顔を上げ、結奏に言葉を投げ掛けた。

そしてサッと踵を返し、この場から早く立ち去ろうと、身体を反転させようとした。

その刹那。

ギュッ――

腕が力強く引かれ、身体が、温もりで包み込まれる。

「……んえ?」

あまりに突然の、思考外の出来事に驚き、変な声が出てしまう。

「……どうせ、今日もいつものように、遅くまで寝てたんだろ? あ、あたしだって……あんたが、もうちょっとだけ早く来ててくれれば、演奏のことなんて断ったっつーの……」

そっと抱きしめてくれる結奏は、優しげに、でもちょっとどこか恥ずかしそうに、小さな声でそんなことを言い……

「……夜」

一拍置いて、ポツリと一言、そう呟いた。

「え……?」

「だから……夜、コンサートが終わった後だったら……相手してやってもいい、というか」

「……いいの?」

「べ、別に、無理にとは言わないぜ? あたしだって、演奏し終えて帰ってきた後じゃあ、多分疲れてるだろうし……会わないっていうなら、勝手にやらせてもらうけど……っ」

「……ありがと、ユカっち。じゃあ、お願いできる?」

「……あぁ」

「……にゃは、ユカっち大好き!」

「……ったく、ほんとすぐに、表情がころころと変わるな、あんたは…」

期待の裏返し、からの、更なる裏返し。

どんでん返しと言える程ではないけれど、それでも、それはほんの数十秒前までの絶望的情動を一変させるのには、十分で。

今はとにかく、嬉しく、愛おしいという気持ちで一杯で、八恵は、身体の前に回された結奏の腕を抱きしめ返し、甘えるように、彼女の肩に頬をすり寄せた。

「それにしても……ユカっちって、時折こうやって、大胆になるよねぇ。こんなことされて、落ちない女の子はいないというか……音楽性もそんな感じだから、ユカっちのファンには女性が多いのかな? 罪作りな人よのぉ、このこのー」

「なっ、ちょ、何言って……! えぇい、もう離れろ、ばかっ! あぁ、もうこんな時間じゃないか! まったく……今度こそ、行くからな!」

意地悪げに結奏をおちゃくると、彼女は顔をポッと紅らめ、グイッと八恵の身体を押し返し、そそくさとその場を後にしようとした。

「ユカっち、いってらっしゃい!」

「……おう、行ってくるぜ、八恵」

だから今度は、八恵は心からの笑顔で手を振り、結奏の背中を見送ったのだった。

 

 

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[ヤエ's comment]

キリが良いような悪いような、そんなところで今回は一旦お終い。

タイトルにもある通り珍しく明確に次回へと続きますよん。

ちなみに私は雨の日、好きでもあるし嫌いでもあるしという感じですが皆さんは如何でしょうか?

 

2020/12/25 微修正を実施

2020/11/1 静謐に修正を実施